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大阪家庭裁判所 昭和44年(少)728号 決定 1969年8月15日

少年 D・A(昭二六・五・一六生)

主文

この事件について少年を保護処分に付さない。

理由

本件記録によれば、次の事実が認められる。

昭和四四年一月○○日京都市の○○公園において京都反戦青年委員会主催の「沖繩問題日米京都会議抗議関西青年学生決起」を目的とする集会が開催され、右集合会終了後集団示威運動に移り、右公園を出発点として祇園石段下、河原町四条、同三条、神宮道三条、京都市立美術館前に流れ解散することが予定されていた。少年は、同日午後七時過頃右集会に参加すべく○○公園に黒色アノラック、同色ズボンを着用して至り、右集会に参加し、右集会終了後の同日午後八時過頃から始まつた集団示威運動にも引き続き参加し、あらかじめ同所に準備されていた黒文字で「○高連」と記入された白ヘルメットをかぶり、反戦高協によつて組織された七〇及至八〇名のグループに加わつて上記予定コースに従つて集団示威行進を続け、同日午後九時三〇分頃解散予定地たる京都市美術館前に到着したが、解散することなくそのまま北上して平安神宮応天門前、岡崎グランド西側に至つた。

しかし、その後の少年の行動就中送致事実の投石による公務妨害行為については、少年は逮捕時から当審判廷に至るまで一貫して否認しているので、その点検討する。

まず、少年を公務執行妨害罪により現行犯逮捕したところの京都府警察九条警察署勤務巡査荻山俊雄の現行犯人逮捕手続書、供述書および当審判廷における証言を総合すると、上記警察署に勤務する同巡査は同日の示威運動警備のため採証検挙隊第三班第二組に編成され集団行進に追随して右職務に従事していたが別件違法行為者を逮捕してその手続きを了し、再度前記職務に従事すべく同日午後九時三〇分頃平安神宮応天門前の神宮道と二条通りとの交叉点付近に来たところ、交叉点南側に機動隊が道路一杯に北面して隊列を組み、その北側から応天門前付近の道路上でデモ隊の数グループが各種デモで気勢を挙げ、投石行為に及ぶ者も出たため機動隊は実力規制に入るべくやや北上したのに伴なつて、その後方から同巡査も北上したが、投石が激しく上記交叉点北側に停止した機動隊の背後を東側に回り込み岡崎グランドの石垣に上つて石垣の北端まで単独で進行したものであるところ数メートル前方に年齢一七、八歳、白色ヘルメットをかぶり、黒色様のアノラックとズボンを着用した男が右手で石をつかみ南方に居る機動隊に向けて投げつけたのを目撃した。その頃機動隊も先刻の停止位置から更に前進しつつあり、あたりの照明はそう明るいもので無かつたからその男の顔を識別することはできなかつたが、直ちに石垣から飛び降りてその男の後を追つたところ、応天門前の冷泉通りを東方に逃げんとしていたその男は前のめりになつて転倒したので追いついて逮捕した、というにある。

そして、少年の検察官に対する供述調書および当審判廷における供述によると、反戦高協グループの一員として集団示威行進の後方列に加わり、平安神宮応天門前に来てから同グループの指導者の指示の下に全員同所に座り込んだ上インターを唱し、その後疲労のためぼんやりそのまま同所に座して隣りの人と雑談を交していたが、少年らが座り込んでいる南方には赤ヘルメットをかむつたグループが更にその南方に位置していた機動隊に向け激しく投石をしていたが反戦高協のグループの者はことさら機動隊との衝突を避けており、投石に及んだ者は少年自身はもとより他の者も一人も居なかつたが、なおもぼんやり話をしていると突然指導者が起立を命じたので立ち上つて隊列を整えようとしたところ、前方の者が急にかけ出したのでわけもわからないまま後方から追従して走り出したところ他のグループの者も同方向に逃げ込んでき、その後方から機動隊員が追いかけてきたため、反戦高協の隊列はくずれ、ちりぢりになり、少年も一〇米程冷泉通りを東方に逃げたところ機動隊員の一人に右手をつかまえられて引き倒され、他の機動隊員三、四名に取り押えられたものであり、従つて少年を逮捕したのはいわゆる出動服姿をした機動隊員であり、荻山巡査に逮捕されたものではなく、機動隊員に逮捕されて後荻山巡査に引き渡されたものである、というにある。

よつて上記の両名の供述の信用性を検討してみるに、反戦高協のグループが応天門前に来てから同所に座り込んだという点については証人○田○男の証言に照しても信用できるものであるところ、荻山巡査が岡崎グランド石垣北端に一人過度の危険をも顧みずに至つたことが信頼できるものであるとして、その折既に付近に座り込んでいる者はなかつたというのであるから反戦高協グループは座り込みから立ち上つている段階であり、その時点には既に機動隊員が神宮道を更に北進して同巡査の付近まで来ていたというのであるから、既に機動隊員は投石による違法行為グループの抵抗を排除して逮捕に着手していた段階であつたと思料されるものであり、そうするならば抵抗を排除された赤ヘルメットをかむつたグループがちりぢりになつて逃げ、応天門前付近は相当混乱していたことは推認に難くなく、この点荻山巡査は混乱は全然無かつたという点疑問視せざるを得ず、そして座り込んでいた反戦高協グループの指導者が隊員に起立を命じたことは証人○田○雄の証言に照しても信用できるところ、突然の起立命令およびその後の逃走は上記赤ヘルメットグループの抵抗排除されたことによる逃走および機動隊の前進を目撃したがためとられた措置であると推認され、そうであるとするならば、荻山巡査が岡崎グランド北端に至つたときは反戦高協グループの者は起立し、逃走し、或いは逃走せんとしていた段階であつたと思料され、少年が座り込みから突然の起立命令、前列者に追従しての逃走という情況下において投石行為を為す余裕があつたか否か疑問に感んぜざるを得ないのみならず更に付近の混乱状態、照明の不充分からして同巡査の誤認もありうる情況であり、少年を現実に逮捕したのは荻山巡査にあらずして機動隊員であるという少年の弁解の不当性を払拭するに足る資料としなく、結局少年の投石行為による公務執行妨害については確信を得るに至らなかつたという他はない。よつて少年法第二三条第二項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 渡部雄策)

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